浦添城跡から宜野湾市、北谷町を望む
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ハクソーリッジの丘(浦添城跡)を訪ねた


2017年公開、メル・ギブソン監督映画「ハクソー・リッジ」は沖縄戦「前田高地の戦い」を描いた作品。舞台となった前田高地は戦跡だけでなく、尚巴志王による琉球統一王国以前の英祖王の居城という側面も持っています。今回はハクソーリッジの地を訪ねながら、遺跡としての浦添城、ようどれ、そして新沖縄の移り変わりを眺めてきました。

 

 

映画「ハクソー・リッジ」の丘(前田高地)

映画「ハクソーリッジ」で描かれているのは、沖縄県浦添市の前田高地。まずは「ハクソーリッジ」を鑑賞します。

 

映画「ハクソー・リッジ」のあらすじ

第2次世界大戦の沖縄戦で、衛生兵として赴任したデズモンド・T・ドスの実話です。

祖国アメリカを守るために兵役には就きたいが、宗教上の信仰心から銃を持たないと決めたデズモンドは、訓練中も銃に触れないと拒否!

上官や部隊の仲間たちから疎まれ、恋人との結婚式にも行かせてもらえず、軍法裁判にかけられます。

しかし、フランスでの戦闘で活躍した父の上官による計らいで、武器を持たずに戦闘に加わる事を認められ、沖縄戦に参加。

日本軍司令部のある首里城手前の最後の砦、ハクソーリッジ(前田高地)では日本軍が死にもの狂いで反撃してきます。

約150mの高い崖を登り切った後の戦闘では、アメリカ軍にも多くの犠牲者や負傷者を出します。ここからがデズモンドの活躍の場!

夜になりアメリカ軍がいったん撤退した後の戦地に居残ったデズモンドは、負傷した兵士を夜通し手当をしながらロープを使い、一人づつ負傷兵を崖下に下ろしていきます。翌日も、またその翌日も。

日本兵がギリギリまで迫る中、「神様、あと一人だけ助けさせてください。あと一人だけ」祈りながら。

結果、デスモンドは75人の兵士の命を救い、良心的兵役拒否者としては初めて名誉勲章を与えられました。

そんなお話です。

 

映画「ハクソー・リッジ」の疑問点

アメリカの映画ですので当たり前ですが、アメリカ側の視点で描かれていますね。

気になるのは150mもの崖にネットをかけて素手でよじ登るアメリカ兵を崖の上で待ち受ける日本兵。

あれ?崖上での守りなら圧倒的に崖の上の方が有利なのでは?なんで上から撃たないの?ネットを切らないの?と疑問。

これには理由があって、崖に昇る直前まで、軍艦からの頂上への艦砲射撃と戦闘機からの日本軍陣地への爆撃が繰り返されていた事で、日本軍が近づけなかった事と、映画で描写されていたようなキレイに切り立った崖や頂上の平地ではなかったかった事。

映画のハクソーリッジ(実際のロケ地はオーストラリア)

映画のハクソーリッジ(実際のロケ地はオーストラリア)

そしてこれが現在の前田高地(ハクソーリッジ)

現在の前田高地(ハクソーリッジ)

現在の前田高地(ハクソーリッジ)

現在は気が生い茂って崖の肌が分かりずらいですが、映画のようなキレイな崖ではなく琉球石灰岩のもっとゴツゴツした岩肌だったのではないでしょうか。

また戦後の復興で、この付近から多くの採石が切り出されたので、より当時の崖の面影は残していません。

現地ではないですが、例えばこのような。

岩肌の露出した石灰岩の崖(現地ではありません)

岩肌の露出した石灰岩の崖(現地ではありません)

また頂上に昇り詰めても、現在の浦添城址公園として整地された平面ではなく、もっとゴツゴツした岩場と茂みなので反撃部隊も展開できないような狭い土地であったようです。

例えばこのように

崖の上の狭小地イメージ

崖の上の狭小地イメージ

これはハクソーリッジ(前田高地)の現地画像ではありませんが、大部隊を投入しながらまともに戦闘できる環境ではありませんよね。

日米両軍が接近戦で、撃ち合い、掴み合いの肉弾戦が繰り広げられたようです。

 

ハクソー・リッジの丘(浦添城跡・前田高地)に行ってみた

そして今回、ハクソー・リッジと呼ばれた浦添城跡に行ってきました。

浦添城跡(ハクソー・リッジの丘)へのアクセス

浦添市役所前の坂道を安波茶方面に上へ上り、安波茶交差点を左へ。30mほど進むと「仲間」バス停前に「浦添城跡」の案内標識が見えてきますので右折します。

浦添城跡通り(県道153号線)からの入口

浦添城跡通り(県道153号線)からの入口

さらに300m進むと左手に「浦添グスク・ようどれ館」グスク巡りの先に見るか後に見るか。先に見るならここで駐車します。

浦添グスク・ようどれ館

浦添グスク・ようどれ館

私は先に現地を確認したかったのでさらに100m、やっと浦添城跡と浦添ようどれの入口駐車場です。

浦添城跡入口

浦添城跡入口

施設内案内板の分岐を左に行くと「浦添ようどれ」右に進むと「浦添城跡&前田高地(ハクソーリッジ」です。

左は浦添ようどれ、右は浦添城跡(ハクソーリッジ)

左は浦添ようどれ、右は浦添城跡(ハクソーリッジ)

今回は先に「浦添城跡&前田高地(ハクソーリッジ」方面からに散策ですので、右へ!

 

戦跡として

敷地内には至る所に慰霊碑が。沖縄線の激戦地で多くの命が失われた場所なんだと実感させられます。

浦添城跡の入口には多くの慰霊碑

浦添城跡の入口には多くの慰霊碑

浦添グスク内の御嶽(拝所)でもあり、戦時中は住民の避難壕、戦後は納骨堂にもなった「ディーグガマ(梯梧の洞窟)」

多くの住民が避難したディーグガマ

多くの住民が避難したディーグガマ

納骨堂には住民や軍人の遺骨が5,000柱も収められており浦添市によって毎年、慰霊祭を催し英霊を慰めています。この日も千羽鶴がかけられていました。未だに戦後は続いているのですね。

 

敷地奥の「前田高地の平和の碑」へ向かいます。琉球石灰岩の岩の隙間から慰霊碑に向かいます。

前田高地の小路1

前田高地の小路1

こんな岩の隙間の小路で日米の接近戦が繰り広げられたのですね。当時はもっと環境が悪かったのではないでしょうか。今では歩きやすく整地されたのだと思います。

前田高地の小路2

前田高地の小路2

前田高地の碑に到着です。

前田高地平和の碑

前田高地平和の碑

ココで戦闘にあたっていた部隊は北海道からの兵隊さんが中心になっていたそうです。慰霊碑の文字は北海道知事によるものでした。

 

現在の前田高地(ハクソーリッジ)の崖はほとんどが前後の復興の為に切り崩されて面影は残っていません。その一部は墓地として切り開かれていました。。

墓地として整備された前田高地

墓地として整備された前田高地

戦時中に大勢の命が失われた激戦地が、戦争とは関係ないですが墓地になっているというのも何か皮肉なものですね。

 

遺跡・城跡として

浦添グスクの入り口を入ると直ぐに「沖縄学の父・伊波普猷(いはふゆう)」の墓があります。明治から昭和の時代にかけて沖縄の研究に尽力し、日琉同祖論(にちりゅうどうそろん)を展開したことでも知られています。

伊波普猷の墓

伊波普猷の墓

 

「琉球」以前の中山国王の居城

浦添グスクは、琉球が一つに統一される以前の三山時代に中山の拠点とされていました。

琉球初の王統、12世紀の舜天王の時代に創建されと言われ、その後、舜天、英祖、察度の3王朝10代にわたって居城した城(グスクです。
舜天王統については神話的な要素も強く実在も検証されていませんが、英祖王に関しては浦添ようどれに陵墓が残されています。

復元中の浦添グスク城跡

復元中の浦添グスク城跡

戦争によって破壊された城壁の修復が進められています。

浦添グスクの敷地内です。

浦添城跡広場

浦添城跡広場

敷地の先は崖になっていますが、実際にはこの先にも敷地は続いていました。しかし、戦後の採石によって切り取られてしまっています。

この切り取られた部分に浦添城の本殿があったようで、これだけ破壊されてしまっては発掘や復元はもう叶わぬ夢となっています。

なんて勿体ないお話でしょうか。

浦添城跡から宜野湾市、北谷町を望む

浦添城跡から宜野湾市、北谷町を望む

 

統一前と統一後の王までもが、ここに眠る

入口に戻り、浦添城跡入口を左へ、浦添ようどれ側に向かいます。

浦添ようどれに向かう下り坂

浦添ようどれに向かう下り坂

 

暗しん御門(くらしんうじょう)へと続く小路

暗しん御門(くらしんうじょう)へと続く小路

戦争によって破壊された後、復元された浦添ようどれの暗しん御門へ向かいます。暗しん御門は戦前までは天然の岩屋根がかかっていて暗がりの中を霊域に向かう雰囲気がここから増幅されていったようです。

この小路の縁石によって縁どられた小路、現代の人向けに歩きやすく整備しているのかと思いきや、資料に基づいて過去の遺跡を忠実の再現しているようですね。

単に砂利でも敷き詰めれば良いようなものを、尚寧王の時代(1620年)になんてお洒落に整備したんでしょうと感心してしまいます。

暗しん御門から中御門(なかうじょう)へ

暗しん御門から中御門(なかうじょう)へ

中御門をくぐったこの先に崖下中腹に設けられた掘込墓が見えてきます。

中御門から一番庭を臨む

中御門から一番庭を臨む

左奥に尚寧王陵の東室、右手前に英祖王陵の西室

左奥に尚寧王陵の東室、右手前に英祖王陵の西室

尚寧王陵の東室、右手前に英祖王、2つの王統の墓が同じ敷地内で祀られています。

どうして異なる王統の墓が、同じ浦添ようどれに?この事については次回、別記事で掲載します。

復元された浦添ようどれ

復元された浦添ようどれ

 

浦添グスク・ようどれ館では石室内部を再現!

今回は浦添城跡入口に向かう前に「浦添グスク・ようどれ館」前を通り過ぎましたが、城跡見学前にこの施設の見学をお薦めします。

浦添ようどれの西室(英祖王陵)内部

浦添ようどれの西室(英祖王陵)内部

施設内には普段立ち入れない「ようどれ」の内部を原寸大で再現した部屋や出土した遺物などが展示されていて、敷地内の見どころやポイントなどを説明してくれます。

 

浦添グスク・ようどれ館へのアクセス

 

新しい沖縄を、ここから眺める

過去には祭祀の場でもあり、歴代の王の居城や陵墓として、また沖縄戦争の激戦地として様々な沖縄の歴史に関わってきた浦添城跡(前田高地・ハクソーーリッジ)ですが、今ではこの地を含め周辺の高台一帯が浦添大公園として整備されています。高台ですので本島中部から本島南部まで見渡す事の出来る絶景スポットとなっています。

新しく移り変わる沖縄にここから想いを馳せて見てはいかがでしょうか。

浦添グスクの城壁の裂け目から宜野湾市の街並み

浦添グスクの城壁の裂け目から宜野湾市の街並み

浦添大公園には、展望台も。

浦添大公園から那覇方面を望む

浦添大公園から那覇方面を望む

 

浦添大公園から北谷方面を望む

浦添大公園から北谷方面を望む

 

沖縄都市モノレール(ゆいレール)延伸で発展する浦添

前田高地からは、発展する浦添市前田地区の様子も伺えます。沖縄都市モノレールが直ぐそこまで伸びてきました。ゆいレール前田駅の開業ももうじきです。

ゆいレール延伸で開発の進む浦添前田地区

ゆいレール延伸で開発の進む浦添前田地区

 

夜は抜群の夜景スポット

夜の浦添大公園の展望台からは昼の景色とはまた違った、夜の浦添を眺められます。夜景スポットとしての人気も高まっています。

 

浦添大公園展望台へのアクセス